ドナルド・トランプに、ロバート・デ・ニーロがブチ切れている映像。







「トランプ」を脳内で誰かさんに変換しながら聞いている。
なのに、まったく違和感がない。


明らかな愚か者で、役立たずで、詐欺師で、嘘をつくのがうまくて
自分が何を発言しているかも分からない間抜け……


だもんな。



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除名              黒田喜夫


一枚の紙片がやってきて除名するという
何からおれの名を除くというのか
これほど不所有のおれの
ひたひたと頰を叩かれておれは麻酔から醒めた
窓のしたを過ぎたデモより
点滴静注のしずくにリズムをきいた
殺された少女の屍体は遠く小さくなり
怒りはたえだえによみがえるが
おれは怒りを拒否した 拒否したのだ日常の生を
おれに残されたのは死を記録すること
医師や白衣の女を憎むこと
口のとがったガラスの容器でおれに水を呑ませるものから
孤独になること しかし
期外収縮の心臓に耳をかたむけ
酸素ボンベを抱いて過去のアジ句に涙することではない
みずからの死をみつめられない目が
どうして巨きな滅亡を見られるものか
ひとおつふたあつと医師はさけんだが
無を数えることはできない だから
おれの声はやんでいった
ひたひたと頰を叩かれておれは麻酔から醒めた
別な生へ
パイナップルの罐詰をもって慰めにきた友よ
からまる輸血管や鼻翼呼吸におどろくな
おどろいているのはおれだ
おれにはきみが幽霊のように見える
きみの背後の世界は幽晴の国のようだ
同志は倒れぬとうたって慰めるな
おれはきみたちから孤独になるが
階級の底はふかく死者の民衆は数えきれない
一歩ふみこんで偽の連帯を断ちきれば
はじめておれの目に死と革命の映像が襲いかかってくる
その瞬時にいうことができる
みずからの死をみつめる目をもたない者らが
革命の組織に死をもたらす と
これは訣別であり始まりなのだ
生への
すると一枚の紙片がやってきて除名するという
何からおれの名を除くというのか
革命から? 生から?
おれはすでに名前で連帯しているのではない

(1961年・代々木病院で)










繰り返しになるけど、ガンジーの言葉を。


先日、ムスメと東京へ行っていた。
父の墓参りを済ませ、ムスメの希望で原宿、渋谷へ。


初めこそ「きゃー!東京だー!すごーい!」とはしゃいでいたムスメも
あまりの人の多さと、トイレは無論コンビニのレジまで並ばなくてはいけない現実を見(←本当にビックリしていた)、慣れないアスファルトだらけの道路を歩き回って、ほとほと疲れたらしい。
「東京はキレイな人がいっぱいいて、自分がゴミに見える」「欲しいものはたくさんあるけど買う気がしない」…と言って、結局何も買わずに帰ってきた。


東京は、何でもあるけど、何にもない町なんだよ


ママの言ってたことが分かったよ、と。


ムスメだって4歳まで東京で暮らしていたし、私にとっても生まれた町なので、ある種の思いはないわけではないけれど、人混みにもまれていると、だんだん思考が鈍くなってくるのだ。
あの中で「個を保つ」のは、大変だろうと思う。
特定秘密保護法とか新安保制とか、まるでよその国の話のような錯覚さえ起きるんだもの。


ムスメと歩いていたら、反貧困デモに出くわした。
安倍政権が格差社会を加速化させていること、渋谷区内の小さな公園で、ホームレス追い出しのための公園閉鎖が行われようとしてること。
デモを横目にそんなことを話しながら、ブラブラ歩いた。


まず、個をしっかり持つ。
誰かと一緒でなくてもいい。
自分で考えて、自分だけで行動する。


それだけでは確かに、変わらないかもしれない。
日本はもう、そういう国なのかもしれない。
でも、何も意思表示をせずに、誰かの言いなりになるのはイヤだ。
自分が自分であるために何をすべきかということを、いつも考えていたい。


……って、そんなコトを考えながら、ピンポイントで店を回って私だけ買い物をして早々に東京を後にした。


家でムスメと一緒にお風呂に入ってふと見たら、ムスメの目の下のクマがすごいことになっていてギョッとした。
やっぱり夢じゃないんだなぁと、実感した。
夢より悪い、悪夢だ。
というわけで、今はデトックスに勤しむ日々。
はあああーーーー。









ぼうごなつこさん作の4コマ漫画です。
とても分かりやすい。


憲法は、国を縛るためのもの。
 = 私たち国民を守るためのもの、なんですね。







ムスメを産む前から「育児書は読まない」と心に決めていた。
オットもそれに同意していた。

育児書に振り回されるのはイヤだったし、何より自分の哺乳類としての本能の方を信じたいという気持ちがあった。
ある育児書を信じてそれに従って育てたら、何年か後に「間違ってました」…なーんて言われたりしても困る。
『スポック博士の育児書』の例もありますしー。

人の言うことは鵜呑みにせず、自分の頭でよく考える。自分で決めたことなら、たとえ失敗だったとしても後悔しない。ちゃんと考えることが大事だ。産休・育休中は、それをする十分な時間があった。

育児書は読まないと言いながら、ある方の著書だけは自ら手に取って読んだことがある。私が妊娠するずっと前から存じ上げていました。おそらく、私の育児に対する考え方に最も大きな影響を与えてくれた人。
それが、真弓定夫先生。


白衣を着ず、薬も出さない注射もしない小児科医。
母乳が第一、牛乳は牛の赤ちゃんの飲みもの、人間には必要ない、土地、季節、年齢に合った食べ物を、症状を抑えない、子ども全体を見る、“子育て”でなく“子育ち”、子どもを枠にはめない、少々危険なことも体験させるがよし、コマーシャルに出ている商品を使うのはおやめなさい、人間は自然の一部…などなど。

中でも「子供は大人を小さくしたものではない」という言葉は、当時、私の琴線にビンビンに触れた。
親の虐待が社会問題として連日取り上げられていた頃の話。



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私はあまりムスメを病院へ連れて行かない母親だった。(今でもそうだが)
予防接種も悩みに悩んで、調べに調べまくって、必要だと思ったらやっとこさ病院へ連れて行く…という具合。
他の子と足並みそろえて予防接種を受けに来ないことで、お医者さんに怒られたこともある。でも平気の平左だった。何も考えず接種させて、副反応が出て後悔するより百倍マシ!と自分に言い聞かせていた。小児科の先生は公衆衛生の面から(あるいはスポンサー=製薬会社の目線で)しか子どもを見ていないから…と決めつけていた。今考えればイヤな母親だ(苦笑)。


でも子どもが熱を出すたんびに、小児科へ連れて行くってのはどうなんだろう?
どーせ解熱剤と抗生物質もらって帰ってくるだけでしょ。
そもそも熱って下げなきゃダメなの? 薬だって風邪ひくたんびに飲ませなきゃダメなもん? 


うちのムスメは小さい頃は本当によく熱を出した。
40℃あっても元気だし食欲あるし、うんちもいいのが出てるからいっぱい水分摂らせて家で遊んで過ごそう…。
その代わり、ムスメのことを、よく観察していたと思う。
子どもの健康は、お医者さんに丸投げしない。私の責任で見る。
でもこれは、すっごく重い役目だった。それでもヒトの親としての本能を信じたかった。
危険な熱かそうでないかは、子どもをよく見ていればシロートでも分かる。機嫌の良さ、唇や爪の色、お腹の張り、ウンチやオシッコの状態。ふだん子どもと密に接している母親だったら絶対分かる。分かるんだ、これが。


薬の代わりに、ごちそうを食べさせてあげよう。
旬のもの、おうちで作ったもの、添加物の入っていないものをよく噛んで食べさせよう。
ムスメは抗生物質は、ほとんど飲んだことがない。
いつも「食」で治した。バクバクとよく食べて、自然に治った。そんなものだ。
世のお母さんは皆、昔の中国でいうと、一番位の高い「食医」です。



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真弓先生は、今回ご病気で来られなかった。
先生の講演をDVDで見た。


ムスメが小さい頃に、牛乳を飲ませていたことが悔やまれます。
ぐあ”あ”あ”ーーーーーーーー!!!・・・考えないようにしよっと。(苦笑)

が、それを除けば食に対する考え方はやっぱり間違っていなかったと確信したと同時に、私がムスメの食事に気を使っているのは、まだ見ぬムスメの子どものためでもあるんだなーと感じて、何だか嬉しくなりました。


真弓先生が一日も早くお元気になられますように。
今日のわが家のご飯は「カタカナ」のものは一切使っておりません^^