クリスマスの朝、ムスメの言ったことがあまりにも可愛かったので忘れないうちに書いておく。
朝、足元にサンタが置いてったプレゼントを見つけ、まだ寝ている私の枕元で大騒ぎ。
頬を上気させ、目を大きく見開いてまくしたてていた。

「うちね、きのうサンタさんが来るって思ってなかなか眠れなかったんだよー。夜中に何度も目が覚めちゃったんだけど、頭のほうにプレゼントがあるかもしれないって思ってぎゅっと目つぶって見ないようにしてたのよぅー。そしたら足のほうにあって、もうびっくりしちゃったぁー!サンタさんいつ来たんだろう???朝の4時ん時はうち目覚めたんだけど、何もなかったんだよねー。ママ、いつ帰ってきた?サンタさん見たっ!?

・・・とっくに悟っていると思っていたが、驚くことに彼女の中にはまだ妖精が棲んでいるらしい^^

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年賀状・・・。
今年は出すか出すまいか迷ったが、結局出すことにした。
この上年賀状も来ないと本当に見捨てられたような気持ちになる…という被災地からの声を聞いたこと。あとは脱原発デモの写真やらも賀状に取り込んで、自分はそういうことしてます!という意志を伝えるいい機会と思ったこと。
なんだか世間ではもうフクイチは収束して、あの事故自体がなかったことみたいにされてるから。


年賀状を用意する季節になるといつも思い出すのが、中学の時に読んだ團伊玖磨さんのエッセイ。
團さんは、年賀状を出さない派。その理由をいくつか。

まず、年始の挨拶というものは葉書で済ませるものではなく、本来はきちんと相手方に出向いてするものだと。あんな葉書1枚で済まそうということ自体 無礼なことなのだと。
あと年賀状は嘘八百である。年内のうちに書くくせに、元旦などと書いてある。
お年玉つき年賀葉書に至っては、言語道断(苦笑)。新年の挨拶状にそんな当たりクジのおまけをつけるという魂胆がイヤらしい……というようなことが書いてあったと思う。(なんせ30年以上前のことなのでよく思い出せず。違ってたら申し訳ない)

ふむふむ。いちいちもっともだ。
それに感化されて 私も賀状を出すことをやめた時期もあった。
でも結局私は團伊玖磨氏のように、かっこよく切り捨てることができなかったんだなあ。
また再開した。
その理由はいろいろある。


この年賀状というもの、イヤらしい部分は確かにあるが、有意義な一面もあるのだ。
年をとるにつれ、年賀状だけで近況を報告し合う友人が増える。そんなにあちこち年始の挨拶に出向いていられないし、私くらいの年の人間は働き盛りでもっとも忙しい。さらに引っ越しもしょっちゅうで、世界中に散らばって住んでいるから、年賀状を転居通知代わりにしている友人もいる。この1年何をしたか、今どこに住んでどういう生活をしているのか、家族は増えたか減ったか。…1枚の年賀状にそれを凝縮して表してあるから、ああこの人はこういう道を進んでいるなと分かる。大事なコミュニケの一手段なのである。
年をとればとるほど、もらって嬉しいものが年賀状なのだ。
だから、そのやり取りがなくなると妙にさびしくなるのです。
今年は来ないけど何かあったのか?身体壊してないか、強制送還されてないか?とかね。(事実今年もいつも来るクリスマスカードが来ないので心配している外国の友人もいる)

うちの年賀状は、オットの意向で、家族全員の写真入り。
ムスメはともかく、私ら中年の経年変化もありのままにお伝えしている(苦笑)。
これが好評を博し、喪中の方も「喪中だけど年賀状は楽しみにしてるので送って!」と言ってくれる。
3人のスナップ写真、いつまで送れるかなァ。。。
毎年の賀状を並べてみると、知らない間に年とっているなァと自分でも思ふ。

最後に。
年賀状の料金は、ぜったい安くできるはずだし、すべきだと思います。
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最近よく耳にする「半農半X」という言葉。
「小さな農を暮らしに取り入れつつ、天職(社会的公益性のある仕事)を行う生き方」というようなことらしいのですが、3.11以降まさに同じようなことを考えていました、ずっと。

日本の食料自給率がカロリーベースで4割弱、穀物にいたっては28%しかないと知ってから、いくらなんでもこれではいかんだろうと危機感を持ちました。自分の食べるものを自分の手で作れない国って、ヤバイんじゃない?と。
農業の廃れた国の行く末は見えています。自国の農業を大切にしないとどうなるか。
国民は安くて安全でない輸入食材に頼らざるを得ないようになり、まさにテロリスト国家の思うがまま。ケムトレイルよか手っ取り早いでしょうね、きっと。
テロでなくとも、日本がTPPに加入すれば、モンサントみたいな悪魔企業が、日本人の食卓にまんべんなく合法的に(気づかれずに)毒を盛ることなんていとも容易くできるわけですからね。


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まぁそれと関連してですが、自分で作ったものを食べるというのはすごく意味があって、なおかつ嬉しいものなんですよね。
味もさることながら、安心という面で。
去年庭で「一畳田んぼ」から収穫したお米を食べた感激は忘れられません^^
そうそう、これです ↓  なつかし~

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このブログの検索でも「自宅で脱穀」とか「自宅で籾摺り(もみすり)」で来て下さる方も多いのを見ると、半農半Xは日本中に広く浸透しつつあるのかなーと思ったりします。

この「半農」というのは、別に農業をやることを指しているのではなくて、暮らしの中に「農」の視点を持つことだそうですので、私は今台所で豆苗を水につけてまた生やしたりしているのですが、そういうのも「半農」と言っていいのではないかと勝手に解釈しています。

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農家の方に野菜のおすそ分けをいただいた際に
「うち用の野菜だから不格好だけど安心して食べられるよ」…なーんて言われた時、
「ということはやっぱり、市場に出回っている野菜は安心じゃあないんだな」と思ったりするのです。

それでなくても、スーパーで加工品を買う時に、何が入っているかいちいち原材料を確かめながら買わなくてはいけないのに。

野菜だけでなく、ハムやチーズやパン、練り物や味噌、かつおぶしなどの調味料なども、自分で作れたらいいのになーと思います。そうすれば変な保存料や防腐剤なんか絶対使わないもん。
3.11以降は、「アレ」(=放射能)の問題もあって、さらに強くそう思うようになりました。
きっと私と同じような人、いっぱいるんじゃないかしら。


やる気になれば何だって作れるんですよね。昔の人はやっていたんですもの。
でも現代人はなんせ時間がない。(苦笑)
時間がないからそれを他人任せにします。
私は、信頼のおける方から直接安全な食べ物を購入して生きてきました。
時間があれば自分で作りたい。でもその時間もスペースも“ずく”もない。(←言い訳)

が実際問題、私の場合「半X」の「X」の部分にものすごく多くの時間をとられています。
農どころか、家族との時間も十分に持てていません。
でもだからといって、出来合いのお惣菜や外食ですませるのはイヤなのです。
なぜなら、私は食いしん坊だから(笑)。
安全かどうか分からないものは、美味しいと思えないんですもん。

私の今までのスタンスは・・・
調味料は自分で作れないけれど、安心な材料を使い、料理は毎日する。
食材には、金を惜しまない。
時間をお金で買う。
ーーー都会で生きる者にとっては、そういうのもアリ(というかそれしか術がない)かな、と。



これからは、そのスタイルをちょっと変えてみようかなと思っています。
つまり「X」を少しセーブして、「農」の部分を増やしていく。
出来るかどうか分かりませんが・・・。

地球の上に生きる者として、環境のこと、食料のこと、子どものまたその子どもたちの、7世代先までの幸せを考えながら、時間とかお金とか所有するということとかも含め、「暮らし方」に対する考えが自分の中で変わりつつあるのは実感しています。

自分の周りから少しずつ変えていく。
いろんな人に教わりながら、少ーしずつ変わっていく。
ついでに「日本人」としてどう生きるのかも考えていく。

大きな課題ですね、こりゃ。



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仕事から帰ってきたら机の上にこんなものが・・・。




ダイニングがクリスマス風の飾りつけでいっぱいでした。
クリスマスってのはどうも苦手でねー。
4月8日はお祝いしたい気持ちはあるんだけどね。(ブッダの誕生日)
クリスマスツリー出したりとか、そういうの何にもしない母親で ごめんね。
3連休が3連勤で ごめんね。


ムスメにクリスマスに何食べようか?と聞いたら「カツ丼!」って答えた。
職場でその話をしたら「さすが ざざさんの子って感じだね♪」と言われました。
ホメられてる・・・?


今寝顔を見に行ったら、枕元にはまだ何も置いてなかった。
サンタさん、松本にはまだ来てないのかしらん。
外は雪、ですねー。顔に当たると少し痛い、発泡スチロールみたいな雪です。
あおちゃん、とてもいい子ですから、どうかささやかなお願いを聞いてあげておくんなまし。
欲しいものは、シールバインダーと、ヌイグルミの綿、です。
近くのショッピングモールで売ってますぅー。どちらも数百円で買えますよー。


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漫画を描く人というのは、時にハッとさせられるような内容のストーリーを考え出したりします。
そういうものを描いている時の漫画家には、何かが乗り移っているか、はたまた意識がどこか別の次元とつながっていて、私たち凡人には思いもつかないような傑作を生み出せるのかもしれません。

今回の震災を予言していたかのような漫画も多数ネットをにぎわせています。
私はオカルティックなものも好きですし、漫画も大好きなので、そういうのを見つけると、偶然にしては奇妙な日時や時間や場所の一致に、背筋がぞっとしてしまうのです。

「大予言」はまさに今我々が直面している状況です。
35年前に描かれたものだそうですが。






「世界中のみんながしってるくせに・・・!」
「有効な対策もないくせに さわごうともわめこうともしない世界人類がこわい!!」
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結婚前の若い女の子たちによく聞かれます。結婚ってどうですか?結婚すると生活ってやっぱり変わるんですか?子どもがいる生活ってどうですか?・・・などなど。ま、飲み会の話題の定番ですわな。
ちょうどいい区切りなので、子育てを10年してみて、思ったことを書いておきます。


 
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私がムスメを産んだのは、幸田さんが言うところの羊水が腐っている年齢でした。(苦笑)
今のオットと事実婚したのは24歳の時。なので結婚して10年以上、二人だけの生活を送っていたことになります。
すぐに子どもを作らなかったのはいくつか理由がありますが、一番大きい理由は、二人で世界一周旅行をするという目的があったからです。しかも、予定は3年間。

そのためケッコンしてからの数年間、二人でお金を貯めに貯めました。
こんなんですから、子どもを産む…なんていう考えは、当時の私の脳内にはまったくなかったのです。
赤ん坊と一緒にインドとかチベットとか、そりゃま出来ないこともないけど私たちには無理だろう、と。

今考えれば、そのための準備も旅行自体も、若かったから出来たのだと思います。「世界に行きたい!」というその情熱だけで突き動かされていましたから。(今の年だったら到底ムリ)
そして途中ハプニングもあったけれど、なんとか3年半ちょいかけて世界を回って帰ってきました。


それから日本で少しリハビリをしながら、自分のこれからの人生設計を考えました。
オットと二人だけの生活は思ったより楽しくて(笑)、自由で、不可能なことはないと思うくらいいろんなことが可能でした。旅先で出会ったユニークな人たちとの帰国してからの日本での交流も、とても刺激になりました。次々に知らない世界を知ることができ、毎日がエキサイティングで、今日のこの日が終わることが惜しい!と毎日思っていたのを覚えています。


私もオットも、このままずっと二人で暮らしていくんだろうなーと思い始めていた矢先、ある人の言葉がキッカケでちょっと考えを変えてみようかなという気になったのです。
ある人というのは、インドのデリーやパキスタンのフンザ辺りで、ちょくちょく出会っていた若者で、彼は私たちより一足早く帰国し、旅先で出会った女性と結婚し子どもも居て…という、まっとうな人生を歩んでいました。
その彼がうちに遊びに来た時、何かの拍子に言ったのです。
「考えないで、産んじゃえばって思う」と。



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この言葉がキッカケだったのかというと、そうであるような気もするし、違うような気もします。本当はずっと前から私は子どもが欲しかったんだとも思います。でも正直恐かった。
子どもをもつということが、大変なことであることは、既に周りの子持ちの諸先輩方を見ていて分かっていました。子どもが産まれれば、あんなこともこんなことも簡単には出来なくなる(不可能ではないけれど難しいという意味)。子どもが出来たとたんに、変わってしまった人もいる。あんなに前衛的だったのに、急に保守的になっちゃった、とかね。子どもが熱を出したからと言って飲み会をキャンセルする友人を見て、そういった子ども中心の生活スタイルってカッコ悪いよなーと、何となく感じていたのです。
自分の人生が、子どものための人生になってしまうのがイヤだったんですね。


だから今でも、自分がどうして「子どものいる人生」にシフトしてしまったのか、不思議な部分もあるのです。
でももし今タイムスリップして妊娠する前の自分に戻れたとしても、やっぱり私は同じ人生を選んでしまうとも思うのです。


産まれたばかりのムスメを初めて抱いた時、「ああ、この子のためなら死ねるな」と思ったのを思い出します。そして今は「この子がいるから死ねない」と思うのです。


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「結婚」して生活が激変することはなかったけれど
「出産」して生活は激変しました。


出かけるのが大好きだったけれど、家に居るのが好きになり、あれだけハマっていたゲームにまったく興味がなくなり、赤ん坊がなめたりするから化粧はしなくなり、赤ん坊が引っ張るから輪っかのピアスは着けなくなり(耳たぶがちぎれる)、赤ん坊の未来のために環境問題に関心をもつようになり、赤ん坊の口に入るから食物の素材に注意を払い、赤ん坊が肌に着けるから合成洗剤は使わなくなり、排気ガス・歩きタバコ・病気など、赤ん坊を脅かすあらゆるものに目がいくようになりました。


元の私は、子どもが産まれたとしても、オットに赤ん坊を押し付け一人でライブに行っちゃうようなタイプの人間だったのです。でも違った。実際は、ライブに行っても友達と美味しい食事をしていても、心底楽しめないのです。赤ん坊なんて24時間いつも一緒に居るのだから2時間くらい離れていてもどうってコトはないじゃないかと思うのですが、そうはいきませんでした。不思議ですよねー。自分はふだん滅多にお目にかかれない豪華な食事をとりながら、今その時間に赤ん坊と時を過ごしているオットにメラメラと嫉妬したりしているんですから(笑)。


このものすごい変わり様は、友人もビックリしたと思いますが、私が一番驚きました。
そして横を見ると、あれほど子ども不要を公言していたオットまでもが、デレデレとムスメの言いなりになって喜んでいるのです。なんなんだこいつは…と思いました。するとオットは「人は変わるものさ。フッ」と笑うのです。スナフキンばりに。
ムスメが熱を出して私の代わりに仕事を休んでもらった時も「カルマだと思っているから大丈夫」と、悟ったような目をして、それにしては随分とカルマを楽しんでいるような雰囲気で、側に付き添っていましたからね。


カルマといえば、赤ん坊を抱きながら「ああ、しばらくはネパールとかインドには行けないな」とか「ダイビングもしばらくお預けだな」とか思っていたのですが、それが苦痛だったかというと、そうでもない。
私はやりたいこともさんざやってきて今の自分があると自覚していましたので、人生も半ば近くになり、そろそろ自分以外の人のために生きてもいいかなという気持ちはあったようです。


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赤ちゃんを車内に置いたままパチンコに夢中になってしまう人とか、子どもと遊ぶよりゲームをやりたいと思う人は、親として不適格なのだとしても(それでも大抵の人は“変わる”もんだと思う。うちの夫のように)
自分が本当にやりたいことを子どもが産まれる前にちゃんとやっておくということは、けっこう大事なのではないかと思うのです。
子どもの存在は、パチンコやゲームの存在すら忘れさせてくれるものなんだけど、それでも親である自分がある程度満ち足りていないと、我慢の限界を越えてしまうこともありますから。
子どもを育てるということは、無意識に自分の一部をその子に捧げること。
だからこそ やりたいことが出来ないのは、子どものせいだと思いたくないんです。
飲み会に行くことよりも、熱を出した子どもの側に居てやりたいという気持ちが、自然に沸いてくる。
他人の子が具合が悪いと知ったら、本気で心配する。
こういう気持ちって、考えてみるとものすごく大事なものだと思いませんか?
みんながこういう気持ちになれば、きっと世の中から戦争もなくなるんだろうなって。

でもこれを一緒くたにして、若い頃は「カッコ悪い」と思っていたんだよなぁ。
その昔感じていたカッコ悪い生き方を、今自分が堂々としているわけで(笑)、これはこれでけっこういいもんだなぁと感じたりしているのです。


これから結婚や出産をする人に向けて、私が言えることはただ一つ。
子どもを産む前に、やりたいことを済ませといたほうがいいかもってこと。
子どもがいると難しそうなことは尚更。
そして、夫婦二人だけの時間をできるだけ大切にしましょうということ。
妊娠を「逃げ」のための手段として使ってしまうと、何かあった時に「子どもさえいなければ…」なんて考えに陥らないとも限らない。
子どもを産んでからは後戻りができないから。。。


だから私は口を酸っぱくして、「つくっちゃった婚」(デキちゃったじゃねーだろという悪意)だけはするなとムスメに言い聞かせるつもりです。
あと腐った羊水でも、こんなにカワイイ子が産まれるから大丈夫ってこともね(毒)。
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