代休。朝から薄曇り。
出勤したばかりのオットから「天気よくなるな」とのメール。
「空がきれいだから」…って、詩人か。


庭の掃除をする。
モッコウバラが恐ろしいほど枝を伸ばしていて、ブッドレアに絡み付いていたのを思い切り伐採した。かなりスッキリした。
伸び切っていた芝も刈る。雨続きだったので芝が重い。レーキでサッチも取り除いて、見違えるほどキレイな庭になった。あとは木の伐採に来る人を待つばかり(泣)。もう少ししたらこの木々ともお別れなんだなと、いっぱい写真を撮る。


午後は、中央図書館へ。オットから頼まれていた予約本を受け取りに。
そう言えば以前、オットが私の予約資料の受け取りに行った時、窓口の若い女性職員さんに「次回からはちゃんと本人が取りに来るようにして下さい!」とお叱りを受けたとか。それでうちのオットが引き下がるはずもなく、そんなことはどこにも明記してないじゃないかと食ってかかったらしい。窓口で揉めていたら、奥からエライ人が出てきてオットに謝り一件落着。


私が感じたのは、この職員さんは、何らかの事情があって図書館に本を取りに来ることができない人間がこの世にいるなんて、想像もしなかったんだろうなぁということ。
病気で寝たきりかもしれない、体調が悪くて外出できないのかもしれない、入院中なのかもしれない、どうしても仕事で平日の昼間に時間がとれない人なのかもしれない。…仮にも市の職員であるなら、図書館の利用者には社会的弱者もいるんだという思考回路を常に持っていて欲しい、かな。
あ!それとも真相はこれ?↓
(職員さんの心の声)このざざむしって奴はいつもダンナに本取りに来させやがるな、いっつも変な本ばっか大量に予約しやがって。たまにはてめぇが来やがれ!



図書館内は相変わらずホームレス臭がした。
私は他人より鼻が利くので、少々つらいものがある(苦笑)。
でもこの寒い信州で、空調が効いていてトイレがあって水を飲めて何時間座っていても怒られない場所などそう多くない。むしろ心配になる。凍えるような夜はどこで時間をつぶしているのだろう。


折しもマクドナルドで「ホームレスお断り」の貼り紙が貼られていたというニュース。(「ホームレスお断わり」 マック難民はどこへ行くのか 田中龍作ジャーナル)
なぜホームレスの人たちがマックに行くのか。それを考えないといけない。
本来は行政が何とかしなければならない問題のはずなのに、ネットカフェやマックなど店側に難民の処遇を委ねているからこういう問題が起こるのだ。
マックが締め出せば、次の店に行くまでだろう。が、この締め出し行為そのものも、人権を軽視していると言われても仕方ない。何とかならないのか。
都内のある図書館は、確か「社会人コーナー」という一角を設けてあった。あとで知ったが、ホームレスさん専用席だったらしい。図書館側の苦肉の策である。
(私は知らずにそこで長時間PC持ち込んで論文を書いていた



図書館を出たら雨が降っていた。
畑に行く予定だったのだがこれではなぁ。
仕方ない。家でゆっくり本でも読むか。

最近は、穂村弘ワールドにハマっているので、全部読破しよう。
「にょっ記」に続き「にょにょっ記」を読む。
ぷくく。声に出して笑ってしまう。
これ、知らない人が見たら気持ち悪い光景だろうなぁ。


今日は3連投。
すげー。
ちょっと肩を休ませなくては。


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寒くなった。
一昨日の夜なんかは3℃で、焦ってチランジアを家の中に入れた。
まだ暖房器具は使っていないが、羽布団を2枚がけにしている。


唐突だが〈子どもへの愛情表現について〉


自分でも下手だなーと思う時がある。
こないだも修造が出張のため、まる4日間ムスメと二人きりでいたのだが、参ってしまった。
私は私なりに、ムスメの着る服や靴がサイズオーバーしていないかとか(油断するとすぐなる)、学校で使うもの、ノートや鉛筆は足りてるかとか、ちゃんとごはんは食べてるか、うんちは出てるか、体調は良いか…など、結構マメにチェックしているし、それも愛情表現の一つだと思っているのだが、ムスメいわく「それじゃ足りない!」のだそう。
こんなに抱っこもしてあげてるのに?と言うと、「うーん」と悩む(苦笑)。
そして、「パパならこうしてくれるのに」と具体的に言われて落ち込んでしまった。


パパとママでは、役割が違うんだよ。
家に居る時間は圧倒的に修造のほうが多いので、小さい頃からムスメはパパっ子だ。
私は、一緒にいる時間が少ない分、要所要所で大事なことがモレないよう陰でサポートしてるつもりだったんだけど、そういうのって子どもには伝わらないんだなと改めて感じた。ちょっと悲しい。


自分の言動を振り返ってみて、そう言えばムスメに対して「大好きだよ」とあまり言ったことがないかも…と気づく。いや自分では言ってるつもりなんだけど、こういうのは本当は毎日言わなきゃいけないものなんだろうなと。


「可愛いカワイイ」とは毎日言ってるけど、「大好き」とは言ってない。
「いい子だねー」とは言うけど、「よく頑張ったねー」とは言ってない。
・・・・・うっ。これじゃ全然伝わらないわ。
ホント私って昔から、人に対する愛情表現が苦手なんだよなぁ。
母親として失格かも。


……というようなことを、ムスメに直接ぶつけてみた。
私は愛情表現が苦手な人間で、あんまりうまく言えないかもしれないけど、あおちゃんが居なかったらママは生きてけないと思うくらい大事に思ってるよ。あおちゃんのことは、世界で一番大好きだよ。
そっけない態度をされたり、忙しいからあとでとか言われてイヤだなって思ったら、その場で言っていいからね。ママはそういうの気づかないから。鈍感だから。どうしても忙しいって言っちゃうし。ほんとごめんね。……


「うん、分かってるよ」とムスメ。
そのあとハグして、ムスメにっこり。


母親12年やって、それなりに成長したと思っていたけど幻想だった(苦笑)。
私のは「細かすぎて伝わらない愛情表現」だったのだね。
なんだか落下スイッチで、床下に落とされたような気分。。。


心を入れ替えて、出直しマス。











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この「昔を振り返りたくなるお年頃/自己満旅行記」は、88ヶ国分続くということをここで断っておく。
今日は「いろいろ飲んだけど、やっぱりコーヒーはマンデリンだなっ」としみじみ感じたので、その記念にインドネシア編を記す。
で、インドネシアと言えばなんてったってイリアンジャヤですわね。



イリアンジャヤと聞いて、ピンとくる日本人はほとんどいないでしょう。
インドネシア領ニューギニア島の左半分のほう、パプアニューギニアのお隣りです…と言ってもまぁ普通は分かりませんわな。行った私ですら、ヒコーキを何回も乗り継いで行ったので、途中自分がどこに向かっているのか分からなくなりましたもん。


地図でいえば、ここ↓

img_993662_17946873_5.jpeg


秘境とか魔境とか言われてましたけれど、今はどうなのかな?
毎年日本人は、100人くらい訪れるそうですよ。(少ないですよね)
現在はイリアンジャヤという地名はなくなっていて、西パプア州とパプア州に分かれているらしいです。


ここは行きにくい上、おそらく治安も悪い。私が行った頃は、ワメナで独立を求めるデモがあったり、政情も不安定でした。でもそれよりげんなりしたのは、まぁお金にがめつい人の多いこと
ワイロの要求や破格のガイド料金など、今では笑い話になるけれど、当時はけっこういつも現地人と戦ってたような覚えがあります。特に、自称ガイド/ジョン・タブニ(仮名)君には、本当にいろいろかき回されました。私と修造の間では、忘れられない人です。
今でもたき火の匂いがすると「 J・タブニ(仮名)の匂いがするな」とか、お金に細かい事を言うと「お前は J・タブニ(仮名)かっ!」という会話がくり返されています。(苦笑)
ごめんね、J・タブニ(仮名)。







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1998年7月某日 バリエム谷トレッキング1日目


8:00am 時間どおりに来るわけない。アイリッシュカップルは10days Trekへ。
8:30am ワゴン到着。乗せられ、ワメナをぐるぐる回ってスタッフ集め(?)。
途中ワメナ川を越える。丸木橋が頼りない。
Kurima着。スタッフ揃う。ガイド:ジョン、ポーター:ガシ、ダイル、ロバート、クック:カリヌス。


ポリスにスラットジャラン(=旅行証明書)の原本とコピー1部提出。カリヌスを残してなぜか先に歩き始める。天気良し。いきなり急坂。這いつくばって登らなきゃいけないほど。小さな石を見つけては、ロッククライミングの要領で登る。今日の頂上は2260m。
日射しは強烈。風は冷たい。村をいくつか通り過ぎる。ワラ葺き屋根のホナイが点在。段々畑は、さつまいも、とうもろこし、落花生など。
コテカ(=ペニスケースのこと)姿、腰みの姿の村人が畑仕事している。ダニ語のあいさつ。men to menは「ナヤッ(ク)」他、men to women、womenは男女どちらにも「ラオッ(ク)」ありがとうは「ワッ」。


カリヌス追いつく。ポリスがワイロを要求してきた、と。
問題あるポリスらしく「いつもマネーマネーばかり!」とジョンは怒っているが、「それはお前だろー!」と心の中でツッコんだ。


1:10pm Tangma(タンマ)着。滑走路のようなものがある村。子どもが集まって大騒ぎ。
シンパ、エディ、ラデ、シモン、アペ…。インドネシア語が分かる。女の子が私の髪を三つ編みにする。
教師の家を借りて、今日はここで眠る。木のベッド、マットレスなし。すごい虫がいそうな毛布のみ。…昼食後、村を回る。コーヒーの皮むいてるおばあさんたち。が、ほとんどの人は服を着ている。


実はちゃんと服着てるんだけど、旅行者が来るとあわてて服脱いで、コテカ付けたりしてたりして(笑)。
そんなやらせに気づかず、秘境だの言ってる文明人のおかしさよ。
(注:決してやらせではないと思います。そう思いたい)


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ホナイの中を見るだけで、1000〜1500Rp要求してくる。我々は遠慮した。
病人がいて、吐いている。足をケガしたおじさんが、薬くれとミュルエルに言っている。たいした傷でもないので、トフメルとバンドエイドで処置してやる。
すると隣りのおじさんが「オレの指も」と言って見せる。石で何かを打っていた時にあやまって自分の指を打ったらしい。爪がはがれかかっていた。ハサミで爪を切り、同じように処置。「アニ、ティダよ」(水に浸けちゃダメ)と言ったが、通じたろうか?


丸々太ったブタがけっこういる。結婚する際、女の親に7〜8頭贈らなければならないそうだ。ジョンいわく、ブタ1頭15万Rp(≒10$)


ブタのうんち踏みまくりのトレッキング。子どもたちがはしゃぎながら付いてくる。途中で男の子たちが女の子たちを追い返したので、女の子たちがブーイングのような歌を歌っていた。


ジョンが疲れたと言うので(自称35歳のくせに)3人で自由に歩き回る。
コテカ姿のおじいさんが、自分のホナイに案内してくれた。タバコあげる。おばちゃんも寄ってきて、タバコくれと。ダニは女の人もよくタバコを吸っている。立ち止まるとすぐ人垣が出来る。
裸でいるのはみな年寄りばかり。子供は服着ている。若い男女見ない。おばちゃんは、みなパンチパーマ風の頭。(世界共通)


川(透明ではない。家畜の糞多し)で顔を足を洗う。汗でベトベトだが、がまん。標高は1775m。
夕食後、ミュルエルと、フランス人の食生活、気質とかについていろいろ話す。彼女はよくアジアに来ているが、日本は知らない。

夜中3:00am頃、地震あり。
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コテカ姿のおじさんの写真が公序良俗に反しないか自信がなかったので、あえてボカした。
しかしこのコテカ、あの通販生活でも売っていたらしい。(7000円と7600円。ちなみに青年用のコテカ・ルルス(まっすぐなタイプ)が7000円で、壮年用のコテカ・ベンコック(曲がっているタイプ)が7600円。いったい誰が買うのだろう)


うちに現物(未使用)があるが、ヤフオクで売れるかもしれない(笑)。









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かつてない規模の台風がくる…というので、やや緊張しながら過ごしていたのだが、いつの間にか逸れていたらしい。
もう緊張解除していいよって、誰も言ってくれないからムダに緊張してた。
テレビがない生活の不便な点と言おうか。


先月、めでたくうちのコンポストにもウジが湧いたんですが。
あれからいろいろ反省して、やっぱり生ゴミはきっちり乾かさないとだめやと。
ま、原点に帰った心持ちですわ(遠い目)


今までは生ゴミの一時乾燥は、外のフタ付きかごにしていたんだけど、これにまた問題が勃発しまして。
どうもこのフタ付きカゴの中を荒らす奴がいるらしく、朝になるとそこら中に生ゴミが散らかっているのだ。


犯人はおそらく猫かタヌキ。タヌキ…という線が濃厚だ。
現に修造が夜、庭でうろうろしているタヌキを目撃している。
このタヌキ、3軒隣りの家の屋根でくつろいで寝ていたりするので、最初てっきりどこかの家で飼ってるタヌキだと思っていたのだが、どうもそうではないようだ。完全な野良ダヌキらしい。


とにかくこの野良ダヌキ、日々うちの無農薬の生ゴミを漁っているせいで、毛並みなんかツヤツヤで、今も元気はつらつ!飛び回っている。くっそ。


というわけで、購入したのがコレ↓




アウトドアグッズで、食器を乾燥させるためのもの。
これに、新聞紙にくるんだ生ゴミをザルごと入れて、外に吊るしとく。
そのためのザルも2個新しく買ってきた。
うちはこれからこうするから覚えるように、と修造にもレクチャー。


干物などを作るときの「干し網」で検索すると、もうね、よくある青い網のものしか出て来ないの。
「干し網は青」って法律で決まっとるんかこの国は。
なんじゃあのダサダサな色はっ

悩みに悩んで、これにした。緑だからまだ許せる。
生ゴミ乾燥に使われてると知ったら、コールマンの社長さん泣いちゃうかな?










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朝食抜き始めて12日目。体重なんと!2.2キロ減。
面白いように減っていくので、毎朝体重計に乗るのが楽しみで仕方ない。
嬉しくて思わず、連投報告しちまった。てへっ。


           usa315.jpg



パキスタン…と聞いて、人は何を思い浮かべるだろう。
私は、下痢、チャパティ、ムスリム、下痢、山、峠、下痢…。
パキスタンでは体調がすこぶる悪く、腐った物を食べても大概平気な別名「鉄の腹を持つ女」である私がなんと、下痢続きなんでした。
パキではホント、トイレに通った思い出しかない(号泣)。





忘れもしない、ラワールピンディーの宿で。
コレラかと思うかのような(その時は本当にコレラかと)米のとぎ汁系の下痢。
一晩中苦しんで、コレラでは死なない、脱水で死ぬのだ!と自分に言い聞かせ、そのへんにあったミネラルウォーターをちびちび飲んで、何とか死なずに済んだ。
しかし、朝起きた時修造が、ミネラルウォーターが減っているのを見て言った言葉を私は一生忘れない。
「ひっでぇーー!こんなに飲みやがって!
ミもフタもない。おお、神よ!
(しかも次の日予定どおり、夜行列車でクエッタまで行ったんだよっ。鬼っ!




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6月某日(土)晴れ時々雨 ペシャワールへ!

5時半起床。
台所でコソコソとメロンを平らげ、リキシャを拾っていざ。
7時半出発のはずが8時をとうに過ぎていた。が、これくらいは許そう。
A/Cがガンガン効いていて、シートも快適だ。2時間ほど快調にすっ飛ばし、ウツラウツラしていたら、乗客が何やら騒いでいる。イヤな予感的中。バスが故障したらしい。そこは何もない道路。灼熱地獄の真ん中に降ろされ(もちろん金は返却)途方に暮れた。
来るバス来るバス、満席。しかもピンディー行ばっか。頭はフラフラ。思考力なく、そのまま満席のミニバス(ピンディー行)に乗る。私はおばちゃん達の隣り。夫は斜め、と離ればなれ。
シートが狭い上に、ひっきりなしに人が行き来するから、縮こまっていなくてはならない。
おばちゃんはマンゴーを分けてくれたり、気を使ってくれたのだが、車掌やら周りのパキ人が縮こまっている私に同情してか、おばちゃんにもっと詰めてやれなどと言い出す。おばちゃんも気が強い人で、「もう限界だよ!」とか何とか言い返したのだろう。車内、しばらく騒然となる。
ウルドゥー語は分からないから、私はただひたすら恐縮して「ノープロブレムだよ私は…」と小声で言う。気が滅入った。そのうち見かねた紳士が2人、私と夫に、ここに座りなさいと席を譲ってくれた。あー安堵。アリガトウ。
途中どしゃ降りに見舞われたが、なんとか夕方5時過ぎピンディー着。しかしそこは町外れ。
スタックしたバスを呪いつつ、タクシーでペシャワール行のバス発着所まで行く。が一歩遅く、ミニバスはフル。又、待つ。もうヤケクソだ。疲労が高じてハイになっていた。
6時、バスが発車。色彩の乏しいパキの街を走る。なんでインドに比べて、こんなに暗い感じがするんだろうと考えたところ、広告量が格段に少ないことに気づく。インドの街はコークやら「Bye!Thirst!Hi!Limca」やら極彩ケバケバ神様やら、とにかく目につくもの全てカラフルだった。パキにはそれがない。
ただ、公営のバスはやたら派手だ。(屋根が丸くてイスラム風)
21:45ペシャワール着。アフガンとの国境なので、物騒だと聞いていたから、私はまた全身鎧の人となる。
宿はすぐ見つかった。空腹だった夫は、小雨降る人もまばらな街を、食堂求めてスタスタ歩く。
銃を持った警官がじっとこちらを見ていた。結局夜中の10時過ぎでは食堂など開いているわけもなく、諦めて戻ってきた。
最初のバスが故障したのが運のつき。宿のレベルも低いぞ。どーしたのだパキスタン。まだ楽しくないぞー。
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この日は結局、宿で、オムレツとチャパティとチャイをもらって食べました。
チャパティがあれば生きていけるなと確信。
パキスタンのチャパティは、インドのより格段に美味しかったです。



この頃は下痢続きで、外気温は40℃越えでしかも移動のバスがどれも満員…と、苦行のような旅でした。
体重も45キロを切った…と書いてあります。
ああ!この頃に戻りたい!
てか、もう一度体調万全な状態でパキスタンを回りたい!






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