「ああ、ヘイズル!これだよ、あの変な感じは、これが出してる!もうわかったーとってもひどいことだ!ーすごく恐ろしいことだ!近づいてくる。ぐんぐんやって来る


予知能力のあるファイバーがある日突然こう言った。
幸せに暮らしているウサギの群れに、危険が迫っているというのだ。
でも、誰もそれを信じない。
兄のヘイゼルだけが弟の言葉に耳を傾ける。


「…ここに来ている。ぼくたち全部を取り囲んでいる。そんなこと忘れて眠れなんていわないでくれよ。手おくれにならないうちに、ぼくたちは立ち退かなくてはならない」
「立ち退くって、ここから?この村からのこと?」
「うん、それも大急ぎで。行き先なんかどこでもいい
「君とぼくだけ?」
「ちがう。みんな」


村の長ウサギに直訴するも聞き入れてもらえず、ヘイズルは、ファイバーの言葉を信じたわずかな仲間とともに村を離れる決意をする。
小学校の頃に読んだ人も多いでしょう。
今読むと、またちがう感慨がありますな。


ファイバーが感じた「危険」というのは、近く村に人間の乱開発の手が入り、多くの仲間たちが命を奪われるというものだったのだが、その時は誰も信じようとしなかったんだよね。
目に見えない危険からは、とかく目を逸らしたいという本能が、結局は自分たちの命を縮めることになったのだが、、、、、
で、すぐ思い起こすのはやっぱり、原発事故による放射能被害だよね。


諸星大二郎の『流砂』(→)じゃないけどこのウサギの物語も思い出した。
で、改めて読んでみて、やっぱり置き換えてしまう。


etta02.jpg数々の試練を経て、一行はカウスリップという村に辿り着く。


その村には、敵もいない、食べる物もたくさんある、巣穴も広い、まさに理想郷
でも、その村のウサギたちは、どこか悲しげに見えた。
そしてこの村では決して口にしてはいけない言葉があった。
「どこへ?」である。


カウスリップは、人間たちの養兎場であった。
村のいたるところに「罠」がしかけてあり、常に何匹かが姿を消していた。
ウサギたちは、その真実を知っていたが、気づかないフリをして生きていたのだ。


彼らは、事実を知っていた。しかし、自分でごまかして、なんの問題もないふりをしていた。食べ物はよし、暮らしは安全、恐ろしいものもただ一つだけ。それも、ところどころで襲われるだけで、ここから逃げ出したくなるほど、一度にわっと襲いかかってくるわけではない。そんなわけで、ここのウサギたちは、野生の生き方を忘れた。(p.200)   


……似ている。


……定期的に誰かが犠牲になる。
次は 自分かもしれない。
でも ちがうかもしれない。


1匹が犠牲になれば、残った者は1匹ぶんだけ長生きできる。
「死の村」に住むウサギたちが、ヘイズルたちの一行を真実を話さずに村に引き込もうとしたのは、そういうことだ。
分母が大きければ、その分 自分にふりかかる危険が少なくなる。


……似すぎてないか?


なんだかいろいろ身につまされる本だけど、ウサギたちが必要以上に擬人化されていず、ウサギの生態を知るだけでも勉強になるので、大人にもオススメ。








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