FC2、調子わるし。
この日記もなかなか開けず、今ようやく更新できた。やれやれ。



もの食う人びと (角川文庫)



辺見庸が好きだ。


彼の書く文章が好きだし
彼の話す言葉が好きだし
彼の風体も顔も好き。
(本気なのであまり言いたくないが)好きを通り越して崇拝しているかも。
週刊金曜日に連載されている「1★9★3★7――『時間』はなぜ消されたのか」は、毎回正座しながら読んでいる。



彼の珠玉の言葉をいくつか紹介しませう。
  ↓  ↓  ↓



日本のファシズムは、必ずしも外部権力によって強制されたものじゃなく、内発的に求めていくことに非常に顕著な特徴がある。


職場の日々の仕事がスムーズに進み、どこからもクレームがかからない。みんなで静かに。自分の方からね。別に政府や行政から圧力がかかるわけじゃないのに。メディア自身がそうなっている


(ファシズムは)銃剣持ってざくざく行進というんじゃない。ファシズムはむしろ普通の職場、ルーティンワーク(日々の作業)の中にある。誰に指示されたわけでもないのに、自分の考えのない人びとが、どこからか文句が来るのが嫌だと、個人の表現や動きをしばりにかかるんです


集合的なセンチメント(感情)に流されず、個人が直感、洞察力をどれだけ鍛えられるかにかかっている。集団としてどうこうではないと思うね




注:これぜんぶ「もの食う人びと」とは関係ないです。すみません


                tyaba.jpg

辺見さんは、もうずっと昔から「今が歴史的瞬間の時」だと感じていると言っておられる。
F1の汚染水拡大だって、今も歴史的瞬間を刻んでいるのだと。
「注意しなさい。これが歴史的瞬間ですよ!」という声がいま必要である、と。


この歴史的瞬間に居合わせているのに、声を上げることもなく、黙って見過ごし許し続けている。そういう風潮に、私たちは置かれている。
マスコミも頼りにならない。同志もいない。
親さえも説得できない状況で、私たちは、いったいどうすればいいのでしょう。


辺見さんは言う。


「われわれ」とか「みんな」という集合的人称を信用してはいけない、と。
そういう幻想への忖度、気遣いというものがいかに事態を悪くしているか、と。
自分で少し自信がないなと思っても、声をあげて言う。モグモグとなにか言う。
あるいは、つっかえつっかえ質問をする。理不尽な指示、命令については、「できたらやりたくないのですが……」と、だらだらと、ぐずぐずと、しかし、最後まで抗うしかないのだ、と。


辺見さんに「ひとりでいよう」「みんなと居ても、ひとりを意識しよう」と言われると、ああやっぱりこれでいいんだ、と思う。
「イヤな奴を睨む」「おかしな指示には従わない」
それで、いい。
結局これしかないのだ。


                tyaba.jpg


辺見さんのブログには、エベレストにのぼった、エベレストにのぼらなかった、という一文が必ずある。
何のことかというと、ご自宅からカフェに行った帰り、広場の角の1メートルにも満たない土盛りを、歩行訓練のために登ったり降りたりされている、ということらしい。
その土盛りは、歩行障害のある辺見さんにとっては断崖絶壁なので、「エベレスト」と名付けている。
ああ、今日はエベレストに登れたんですね、よかった(ホッ)と、安心する私…。



船戸与一さんが亡くなった。71歳。
辺見庸さんや内田樹さんや本多勝一さんには、いつまでも生きていて欲しい。
本当に、お身体には気をつけて。
お話を聞ける機会がいつか来ますように。













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