3連休最終日。

家族はそれぞれの居場所へ散っていった。
しゅんしゅんと湯を沸かす音だけが響く家で思い切りくつろぐ私。
外は雪。もうどこにも出かけたくない。





ゆうべ修造が、自分が脱いだ作業着の襟元を見て、「あれ?これ始めからこんなに汚れてたっけ…」みたいなことを言ったんですけど、

いやいやいやいや。
それ、あなたが今日付けた汚れですから。

あんた1日でけっこうな汚れを出してんのよマジで。
えっ? 知らなかった?
(そしてそれは自然と綺麗になってるわけじゃございませんことよ)


気を取り直して、2階の本部屋(今は物置になりつつある)を掃除。


ここにはムスメのものがたくさん。
正確に言えば、昔ムスメがそこらで拾ってきたものね。
石やらどんぐりやらセミの抜け殻やら貝殻やら何かの実やら花やら草やら…。


こんな風に入れ物にきっちり収まってると、捨てるの躊躇するわあ。
一つ一つ手に取って見てたら、全然片付けが進まなかった。
可愛かったあの頃の思い出が 走馬灯のように頭を駆け巡りましてね。



そういや最近は石とか拾ってこないなあ。
って、当たり前か。
中学生にもなって それはないよなやっぱり。


あいつも小さい頃は虫が大好きで、平気で手で捕まえて持って帰ってきてた。
アリさんたちの働きぶりを 半日眺めていたり。
登れる木にはすぐ登りたがり、降りて来いと言ってもなかなか降りてこなかったり
川を見れば飛び込み、魚を追っかけ、
食べられると聞いたその辺の草を なんでも口に入れてしまったり。


なんていうか、自然と仲良しだったんだよねえ。あの頃は。


なのに今じゃどうだ。


ちょっと大きめのクモがいると大騒ぎするし
海にも山にも行きたがらず 鳥の類(カラスやハトなど)をいっとう怖がる。
室内の草花にも あまり関心がない様子。


あーあ。
どこ行っちゃったんだろう?
あやつのセンス・オブ・ワンダーは!



【センス・オブ・ワンダー】自然や命の不思議さに感嘆する感性





これは、言わずと知れたレイチェル・カーソンが姪の息子ロジャーと一緒に自然を探索した体験を書いたエッセイ。
が、肝心のロジャーは、大人になってからのインタビューでその時のことを
「あまりよく覚えてない」と言っちまったらしい。(;゜0゜)


…うーん。
そんなもんなんだよな。うん、そんなもんさ。


大人がいくら望んでも 子どもはそんなものどんどん置いて成長しちまうんだ。
私のムスメに対する愛情って、永遠の片思いだなといつも思うけど
それと同じで、親が思うほど子どもは気負って自然に接してるんじゃないってこと。
「子どものため」「一生もののセンス」などと、親もあまり気負わないほうがいいのかも。


それにこの感性って、失くしたのではなく、少しの間、横に保存してあるだけなのかもしれないし。


なぜかというと、この石たちを処分していいか帰ってきたムスメに聞いたら即答で「ダメ!」と言われたのだ。
理由は「大事だから」。



大人の尺度で測れないムスメなりの価値観や感性や思い出が、この部屋のガラクタ物たちに詰まっているんだね。
そしてそれがきっと、子どもの頃持っていたセンス・オブ・ワンダーの欠片なのかもしれない。(最後はキレイにまとめた)








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