いまここに在ることの恥 (角川文庫)



参院選が近づいている中で
必死に最後の(?)抵抗を試みている人たち(私も含め)には 決して言えないが
この本を読んで 今まで感じたことのない感情が湧き上がり、それに自分でもちょっとびっくりしたので、忘れないうちに書いておこうと思う。


p.121あたり

辺見氏がノーム・チョムスキーに言う。
「日本は憲法を改悪しようとしている」

ノーム・チョムスキーは、フフンと鼻の先で笑いながら言った。

「憲法改悪はたしかに由々しいことではあります。しかし、五十年にもわたってアジア地域での(米国の)戦争に貢献してきたことに較べたら、ささいな問題です」


私たち日本人が、いまだにまぁまぁ強い円を持って、下手すれば欧米の貧困者より贅沢な暮らしをしていられるのは、先の朝鮮戦争の特需のためだ。


軍服、テント、鋼管やコンクリート材料、兵器や砲弾、遺体を入れる土嚢袋まで。
日本はあらゆる物資やサービスを アメリカ軍に供給した。
それで、日本は豊かになった。


チョムスキーは言う。

「日本の人たちが今しなければならないのは、鏡をのぞいてみることです」




11.gif




私たちは、アジアの人たちをひどい目に合わせた。
直接的にも、間接的にも。


インドシナ半島の破壊行為に加担することで 国を肥やしていった、
そんな破壊行為に比べれば、憲法改悪なんて「ささいなこと」、
戦後日本が 米国の戦略的枠組みの中でしてきた犯罪行為、
それは、憲法の破壊以上ではないか、、、、、。


恥ずかしくはないのか、と問われ
急に恥ずかしくなった。


鏡を見て、醜いなと思った。




11.gif




私たちが、戦後、きちんと罪に向き合わなかったツケ。
戦争責任者を あいまいにしたツケ。
正当な手続きの上で 裁かなかったツケ。
「終戦」ではなく「敗戦」だと認めてこなかったツケ。


それだけではない。


今、まさに、私たちの生活をおびやかしているファシストたちを
「われわれの税金で多数飼ってやり、贅沢な暮らしをさせてやっている」(p.125)


あのような者たちに、ほしいままに操られ
搾取され続け
それでもなお すなおに年貢をおさめ、自分たちは底辺のレベルであえいでいる。
舌を抜かれ、鳴くことができない羊のように。



11.gif



……なんだか絶望的な気持ちになる。


最後に、辺見庸氏の次の言葉を引用する。
絶望…かもしれない。
が、辺見氏と同じく、私自身のすることは決まっているのだと。



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…躰の右側がうまく動いてくれませんが、私はデモにも行く気でいます。
まちがいなく憲法は改悪されることでしょう。
でも、私はどこまでも反対します。
この国の全員が改憲賛成でも
私は絶対に反対です。

世の中のため、ではありません。
よくいわれる平和のためでもありません。
他者のためではありえません。
「のちの時代のひとびと」のためでも、よくよく考えれば、ありません。
つきるところ、自分自身のためなのです。
この国に生きる自分自身の、根底の恥のためです。
いまここに在る恥のためです。
恥辱はどのみち晴れるものではありません。
でも、私はただいまにまつらい、逆らわず生きることの恥の深みを考えながら、なにごとか書き続けます。
あとどのぐらい生きるかわかりませんが、いさぎよく死ぬよりも、不様に生きることのほうが私には収まりがいいだろうなという気がします。…
(p.164 文字装飾は私)
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