死にかかっているクラゲたち。






私が社会人として第一歩を踏み出した当時の部署の人たちと同窓会@新宿。
元同僚8人+元上司の計9人。
なんと、27年ぶりの再会だった。


全員アラフィフで(当たり前だが)元上司は今年80歳傘寿だという。
かくしゃくとしてらっしゃって、とてもお元気だった。


元上司以外は、みなまだ現役だった。
ただ、ほとんどの人が違う分野の仕事に転向していた。
ダンナさんの扶養範囲内の収入におさえてパートタイマーで働いている人、離婚して別の資格をとりバリバリやっている人、教育現場に居を移した人、一般企業社員相手に管理・指導をしている人、さまざま。
…未だに現場で仕事を続けているのは 私だけだった。


私以外の人は、20数年前の現場の知識で時が止まっているので、会話の中には間違っていることも多く、「今は昔と違ってこうなんですよ」「今はそんなことはありません」「今は…」と、いちいち訂正するのもバカバカしく 正直疲れてしまった。


もう住んでる世界が違うんだな。


当然のことに 若干ショックを受けている自分がいた。
でもなぜ私は「ショックを受けている」んだろうか、と考えた。


それは、先輩たちが会話の中でところどころに発する現場への「不満」、
現場がなってないから受け皿である自分たちの分野へのしわ寄せがきているのだという「怒り」
…に、私が敏感に反応しているからだ、と。


心の中で 何度も叫んだ。


それは現場のせいじゃない、
悪いのは行政だろ!……と。




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あの頃、豊富な知識と高度なスキルでバリバリ働いていた先輩たちは 
私の憧れの的だった。


今、先輩たちは、何十年も前に舞台から降りて安定した生活を送っている。
安定を選べば 自然とスキルダウンしていく。
それは自然なこと。
そういう人をたくさん見てきた。
でも、それでいいのだと思う。
家族の生活と自分のやりたいことを天秤にかけて、家族を優先させる、それ自体は素晴らしいことだし、私もそうありたいと思う。
でも、感じるのだ。
安定を選んだ人たちが 決してそれで満足しているわけではないということを。


先輩たちの不満と怒りの根底に感じる、ある種の感情。
私がもし先輩の立場だったら 必ず持つだろうあの感情。


今の現場の状況を私が一から説明したとして、全てを理解してもらえないだろう。
実際、普通に話しているつもりだったが、今の現場用語だったらしく、何度も聞き返された。
だからといって言葉を選んで話そうとすると、何も言葉が出てこないのだ。


それほど現場は変化した。
より高度になり より専門的になった。
IT化もめざましく進んでいる。加えて法律の改正、行政の締め付けがある。
各現場もみな 生き残るのに必死なのだ。


すべて27年前とは違うんだ。



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私も安定した生活を選んだ。
思い切りマミートラックに乗っかって生きてきた。


でも、舞台からは降りなかった。
家庭も子育ても大事にする、自分のことも大事にする。
そういうスタンスでやってきた。
かなりギリギリだったし、完璧にはできなかったけれど。


「またこのメンバーで、一緒に現場で働きたいね」
誰かが言った。
みなが目を輝かして賛同した。「まぁ今更ムリだけどね」


先輩、ムリじゃないです。
現場の雰囲気はまだ変わってません。戦場ですよ。
また舞台で一緒に戦い踊りましょう。





ちょっぴりしょっぱい同窓会のお話。
今日の日記、嫌味になってたらごめん。




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