昼間っからビール!・・・ときたら、お好み焼きでしょう。やっぱり!




せっかくもらった休日を、もう今日は誰に何といわれようと運転しないぞと心に決め、このような状況になっております(笑)
もう今日は家事もせず、勉強もせず、なーんも考えずに過ごすのだ。
立川志らくの「雨ン中の、らくだ」を昨夜から読み始めた。面白い。今から続きを読むのだ。



ちょいちょいとニュースを見てたら、虐待のニュースが立て続けに目に入る。
しつけの延長? 延長ってナンデスカ? 
洗濯機に入れて回したり、ずっしり重いリュックを背負わせて柱に縛りつけたり、子どもの背中にロウソクを垂らして火傷させたり。どうなってんだ世の中。むちゃくちゃじゃないか。
子どもの将来を悲観して? なぜアナタがその子の将来真っ暗だと決めつけるの?
まだ小さい子の腹を蹴ったり、頭から投げ飛ばしたり、食事を与えず衰弱させたりすれば命に関わるなんてこと、小学生でも分かるよね。だからいつも思うんだけれど、傷害罪じゃなくて、過失致死罪じゃなくて、未必の故意による殺人罪ではないの?ということ。


親が自分の子どもに手をかける…という罪は、極刑に値すると私は思う。

だって、その子は逃げ場がないんだもの。自分に手をかけようとしているパパやママは、その子にとってこの世でいちばん信頼している人間なんだもの。


子どもが行方不明になって、痛ましい姿で発見されて、しばらく犯人探しにワイドショーが沸く(姿の見えない犯人がまだどこかにウロウロしているという不安で大衆を煽る)けれど、犯人が母親だと分かった時、わたしたち国民一人一人の中にこういう感情がわき起こらないだろうか。


  「やっぱり母親か。ならば仕方ない。」


これは実はとても恐ろしいことだよね。
こういう感情こそが、この国で一人で育児をしている母親(または父親)を孤立させ、追いつめているということに、そろそろ私たちは気づいてもいいんじゃないか。


そして、一見矛盾するようだが極刑の話。
虐待する親の側にも、自分の子なのだから何をしてもいい、何が悪いのだという感情があるとしたら。

見てくれは小さな体をした幼児。でもオトナと同じ分別や行動や感情コントロールを要求し、それに従わないとまるで「物のように」殴ったり蹴ったりする。無抵抗だと知っているから。自分の要求にムリがあることは、百も承知だが、「しつけのため」という都合の良い理由が虐待をエスカレートさせる。


   子どもは「小さな大人」なんかじゃないのだよ。



単なる身内のモンダイではなく、各々の家庭の中だけのモンダイではなく、
そう思いがちな私たちみんなの中にある感情が、モンダイの原因になっているのではない?


子育てを、親だけに任せっきりにしてるのは、おかしいんじゃないのかな?
社会みんなで育てるっていう意識があって、そういう仕組みになっていれば、子どもは少なくとも親に物のように扱われなくてすむし、親も一人で過酷な育児をしなくて済むってもんだ。

だから、人の子もよく見よう。
人の子にも注意しよう。私は叱るぞ、ムスメ同様、人様の子どもも本気で、ね。


・・・・・なーんも考えず過ごす!なんて言ってたわりにはよく喋る(汗)





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