今、読んでいる本。

ロシアン・ダイアリー―暗殺された女性記者の取材手帳 アンナ・ポリトコフスカヤ著(日本放送出版協会



チェチェン戦争などでプーチン政権を批判していたロシアのジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤの取材手帳。
彼女は2006年10月7日、プーチン大統領の誕生日のその日、暗殺された。



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「私はよく悲観主義者だと言われる。ロシア国民の力を信じておらず、憑かれたようにプーチンに反対するばかりで、それ以外は何も見えていない、と」

「私にはすべてが見えている。そこが問題なのだ。私には良いことも悪いことも両方が見える。人生を良くしようとして失敗すると、人はそれを隠すために正の部分だけを見ようとし、負の部分などないかのごとく振る舞う」

「わが国の現在の当局はただ金儲けにしか興味がない。それにしかない。ほかのことは一切どうでもよいのだ。『楽観的な予測』を喜ぶことができる人がいるなら、そうすればいい。そのほうが楽だから。でもそれは自分の孫への死刑宣告になる

(あとがき「私は恐れているか」より)
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ロシアは、私にとっての最初の「外国」だったと言ってもいいかもしれない。
3年半の世界一周旅行を、この国から始めることに決めたのだ。
ロシアは、それまで短期の旅行で訪れたニューヨークやハワイなどとは、まるで違っていた。
と言っても私が歩いたのは、モスクワやサンクト・ペテルブルグなどという大観光都市では全然なくて、むしろ観光客など一人も見かけないような小さな町を点々と、東から西へ移動したので、偏見はあるかもしれないが、あの時あの場所で私が見たロシアはこうだった…としか言いようがないので念のため。


第一印象は「物がない」。
いや、正確に言うと、物がないように見えた。
そりゃそうだ。あれだけ物が溢れかえる日本からいきなり来たのだもの。初めての社会主義国だったんだもの。印象が強烈なのは仕方ない。

最初の地では、ロシアに駐在している友人家族に世話になった。
そこで未知の国についての情報収集。
ロシアの政情、経済、ロシア人のこと、食べ物、そして治安。

治安に関しては、人の命は50ドルと確か聞いた。
まだ外国人が自由にどこでも旅行できるような時代ではなかったので、ガイドブックもさほど頼りにならず。載っていた宿が跡形もなくなっていた…なんてことはしょっちゅうで、泊まるところにも苦労した。
大きなバックパック背負って、町をウロウロしてたら襲われるんじゃないかとヒヤヒヤした。
でもその際には50ドルでも100ドルでも喜んで出そう、痛いけど…と覚悟を決めていた。
だからいつも緊張して歩いていたっけなぁ。
宿に着いたときは背中が汗びっしょり…なんてこともあった。


でも食べ物は美味しかった。
市場に行くのが楽しかった。
片言のロシア語で買い物をするのもまた楽し。
大抵のロシア人が持っているという小さな農場(=ダーチャ)に連れていってもらった時は、見慣れた豊富な農作物にホッとしたものだ。
黒パンの奥深い美味さも、ロシアで知ったんだっけ。
チーズもうまし。
今考えると、放射能汚染されていたかもしれないが(苦笑。


そうそう、印象的だったのは、若い女性が揃いも揃って美しいということ。(オバチャン除く)
いつもにこやかな対応をしてくれていたホテルの受付の絶世の美女が、ある日泣きはらした目をして、しかも目の周りにマンガのような青タンを作っていたことがあった。
どうやら彼氏に殴られたらしい。
ヒドい男だと思ったが、ロシアじゃそんなことはよくあることだと聞かされた。
日本に来たら即デビューできそうな可愛い子が、ロシアの田舎にはゴロゴロいて、毎日オトコにグーで殴られるような日々を送っているのかと思うと何とも言えない気持ちになる。(当時の日記より)


…ま、どうでもいい話ですわ。


あの時もちろん友人との会話にはチェチェンの話も上った。
あの時すでにアンナは、ノーヴァヤ・ガゼータ紙の記者として、チェチェン取材に当たっていたはずだ。
彼女は国外では高く評価されていたジャーナリストだったが、ロシア国内で出版されない本を書いても意味がないと、国民に向けて記事を発信し続けた。
そして、消された。・・・・・
ロシアじゃこんなことはよくあることさと、片付けられてしまうのだろうか。



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彼女の言葉「私たち自身の無知が死をもたらす」が、胸に突き刺さる。
「わが国の現在の当局はただ金儲けにしか興味がない。ほかのことは一切どうでもよいのだ」は、この日本のことを指しているのかと思うほどだ。
あらゆる箇所が、私たちの置かれている状況とリンクする。


だってね。アラ・ヤロシンスカヤの「(チェルノブイリ)事故直後の放射線障害と10年後の状況」を読むと分かる。

チェルノブイリ原発事故による被曝の治療のために入院していた1万人以上の人は、ある時突然次々と退院した。
なぜか?
 機密議事録によるとこれは、ソ連保健省が住民の放射線被曝許容基準を従来値の10倍(特別な場合には50倍まで!)に引き上げることを承認したからだという。
さらに「かくしてこの放射能状態が2年半続いても、老若男女すべての住民の健康は保証される」と。
(これを日本政府風に言うと「直ちに健康に影響はありません」となります)
この基準は妊婦にまで適用された。
入院していた人は、新基準値の適用後、一瞬にして自動的に健康体になり、病院から退院させられたのだ。


ソ連共産党政府は放射線被曝した者の数の真の規模を隠蔽するがために,放射線許容基準値を10倍から50倍につり上げたのだ。
なぜそんなことをしたか?
ロシアは、150万人という巨大な数の住民を移住させうる経済状態になかったからである。
政府が心配していたのは、「住民の健康でも、事故の真の被害状況でもなく、ただ単にこの問題の経済的な側面についてのみなのである」


…ヒドイ話だよね。メチャクチャな国だ。
日本政府も当時のロシア政府の情報の隠蔽体質をかなり批判していたはず。
でも・・・・・似てない?



見て見ぬフリは、認めたのと同じ。
大丈夫だ安全だという大本営発表だけを信じることは、自分の孫への死刑宣告になる。



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今やアンナ・ポリトコフスカヤの名は、勇敢なジャーナリストの代名詞となった。
弱き者のために何者も恐れずペンをとり続けた彼女を、社内の厳しい自主検閲の中でしか物を書けないジャーナリストたちが次々と弔問に訪れこう言った。
「彼女の死に方は、ジャーナリストとしてうらやましい」


ノーヴァヤ・ガゼータのオフィス前に置かれた彼女の遺影には、花を手向ける人があとを絶たなかったという。
80歳代の老夫婦が言う。
「私たちの一番好きなジャーナリストでした。彼女の記事はすべて読みました」
(「暗殺国家ロシアー消されたジャーナリストを追う」福田ますみ/新潮社)


「私たちのアーニャ」が命を懸けて伝えてくれた。
つらく苦しい状況の中でも、悪に目を背けることなく、真実を見つめ考えること。
生きていくということは、そういうことなのだ。


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表紙のアーニャは、凛としていてとても美しい。
何か大きなものに立ち向かっている、あるいは立ち向かおうという断固たる決意をもった人間の目をしている。
しかし、どこか悲しげにも見える。チェチェンに残された人への想いか、はたまたあまりの悲惨さゆえ事実を受け入れようとしない自国民への歯がゆい思いか。





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