米原万里が止まらない(笑。
この真っ赤な表紙の本は、今まで読んだ著者の作品の中で私が一番好きな本。
ぐいぐい引き込まれて、一気に読み終えた。傑作。
大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品。


「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」米原万里著(角川書店



著者は、9歳から14歳までの5年間、共産党幹部であった父親の仕事の都合で在プラハのソビエト学校に通っていた。
そこで出会った3人の少女、リッツァ、アーニャ、ヤスミンカ。


見たこともない祖国ギリシャの青い空を「それは抜けるように青いのよ」と自慢する、勉強ギライのちょっとおませな少女、リッツァ

息をするように嘘をつくけれど、みんなに愛され、貧富の差のない皆平等の共産主義の理想をかかげながら自分は大邸宅に住んでいるという矛盾をもつ ルーマニア人のアーニャ

学校一の天才で絵の才能も抜群、常に冷静でクールな性格のユーゴスラビア人、ヤスミンカ


この3人の友人たちと30数年ぶりに再会を果たすべく、数少ない手がかりをもとに探し歩く。
再会のシーンは感動ものであるが、それよりも、大人になった彼女たちが それぞれに自分の祖国という大きなしがらみを抱えながら生きている現実に、読者は深く考えさせられる。・・・


               64.gif



内容は「リッツァの夢見た青空」「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」「白い都のヤスミンカ」の3部構成になっている。
私がもっとも心を打たれたのは、最後の章「白い都のヤスミンカ」だ。
3つのうち、ここだけでも読む価値はある。
ずっしりと重い内容。衝撃の結末…。
ふつうの日本人が知ることのない、共産圏に生きる人たちの状況が手に取るように伝わってくる。
当時の13歳の少女たちは、何を見、何を感じていたのだろうか。
そして今も、平和ボケした私たちには到底理解できないような過酷な状況下で生活していることも。


               63.gif



当時の在プラハ・ソビエト学校には、50ヶ国くらいの国から子どもが通っていたという。
しかし、1963年、部分的核実験停止条約をめぐって 中国共産党とソ連共産党との意見の相違が表面化、それに伴ってソビエト学校から中国人の子どもが一斉に退学、一人もいなくなった。
国際共産主義運動の中で、日本共産党は中国派と見なされていたため、あからさまなイジメや差別はなかったものの、日本人である著者は、級友たちが明らかに自分をの距離を取り始めているのに気づいていた。


ユーゴスラビア人であるヤスミンカも似たような立場だった。
60年代当初、ソ連人のユーゴ観は、「社会主義の正当な道から逸脱した落伍者」であるというものであり、ヤスミンカも著者と同じ「どうしようもない孤立感」を感じていた。


たった13歳そこらの少女が、毎日『プラウダ』『アカハタ』を目を皿のようにして読み比べているんですよ!
彼女たちは自分がなぜここに居るか、親の思想とはどういうものか、自分の置かれている立場など、すべて明確に理解している。
うちのムスメなんか毎日YouTubeでAKB48を見ることはあっても、新聞なんか絶対読まないもん。
私が理想を語ったとしてもきっと、ハナクソほじりながら「ふーん。…で?」って反応に決まってますよ


                62.gif


ヤスミンカのこの章は、書きたいことが山ほどあってまた長くなりそうなんで、かいつまんで説明すると、
ヤースナ(ヤスミンカの愛称)のパパの回顧録/パルチザン隊に入ったキッカケや
別れてからのヤースナと新しく来た校長との確執
著者の思い出帳にセルボ・クロアート語で綴られたヤースナの意味深な言葉
91年に勃発したユーゴ民族紛争・・・etc、etc。


ヤースナの消息を訪ね歩く中で著者は、ヤースナがボスニア・ムスリムであったことを知る。
そして、運命の再会。。。
一見、夫や子どもたちと幸せな家庭を築いているように見えたヤースナ。
が、彼女はいまだ激動の渦中にいて、不安な日々を送っていたのです。


ヤースナの言葉で、頭から離れないものがある。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「この戦争が始まって以来、そう、もう五年間、私は、家具を一つも買っていないの。食器も。コップ一つさえ買っていない。店で素敵なのを見つけて、買おうかなと一瞬だけ思う。でも、次の瞬間は、こんなもの買っても壊されたときに失う悲しみが増えるだけだ、っていう思いが被さってきて、買いたい気持ちは雲散霧消してしまうの。それよりも、明日にも一家皆殺しになってしまうかもしれないって
「ヤースナ!」                       (p.279)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



・・・ツライ。
世界のどこかには、今でもこんな気持ちで毎日過ごしている人がいると思うと、胸が痛くなる。


                65.gif



かつてトルコ軍が、街のあまりの美しさに戦意を喪失して引き上げていったという「白い都」ベオグラード。

この本の最後は、以下の文章で結ばれている。
著者の静かな怒りと深い悲しみが 文章から伝わってくる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それから三年半後の一九九九年三月。アメリカとNATOの爆撃機は、ついにベオグラード市に襲いかかった。二人の職員を爆撃で殺された中国大使館は、ヤースナの住む団地のすぐ近くにある。爆撃機の操縦土たちは、トルコ軍の兵士のように、「白い都」の美しさに魅了されることはなかった。(p283)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




私がユーゴを訪れたのは、1996年の8月。
(ちょうどマリとヤースナが再会を果たした年だ!)
ほとんどトランジットのような、一日半のみの滞在だった。
(ルーマニアに早く辿り着きたかったため)
もう少しゆっくり見て歩けば良かったと 今になって後悔している。

雲が多くどんよりとした天気。
共産圏の国にありがちな 大きながらんとした建物が立ち並ぶ町並み。
かなりどぎつい表紙のポルノ雑誌が売られているキオスク。
その中を、背の高い美しい人たちが早足で通り抜けていく・・・私の中のベオグラードは、そんなイメージ。
もしかしたらヤースナとすれ違っていたかもしれない。


メイン通りからすぐの だだっ広い公園を通り抜けたところで、ハンドルがひん曲がって自転車がうまく動かせないでいた子どものハンドルを直してあげたことと、
57$もしたホテルに ホットシャワーがなかったこと!
……はよく覚えている(要らんことばっかり。笑)

当時の日記を読んでいたら、しばし東欧の世界に戻ってしまった。


DSCF3417_convert_20120628080447.jpg




おおっと!今気づいたけれど、3部作のタイトルに入っている「青」「赤」「白」の3色は、汎スラヴ色ではありませんか。
チェコやロシア、クロアチア、セルビア、スロベニア、スロバキア…の国旗の色。

cz50.gifru50.gifhr50.gifsel50.gif

汎スラブ主義色とは…
東欧のスラブ諸国の伝統色。スラブ民族の象徴の色。
〈青〉澄みわたる空〈白〉まばゆく輝く光明。清潔〈赤〉自由のために流された血



……なるほど。
気づかずに通り過ぎるところでしたよ。
トワーリッシチェ・マリ! どこまで計算していたのですか。



日本人の「マリ」は、56歳で逝ってしまった。
ヤースナが今でも生きていて、幸せに暮らしていることを願わずにはいられない。








関連記事
スポンサーサイト


コメント

  1. |

    管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

    ( 20:28 )

  2. ざざ | -

    >鍵コメさま♪

    畑は・・・・うーん。あんまり育ってない感じです。
    なんか根本的なところが間違っているのかなぁと、ちと不安^^

    官邸前デモ!行きたかった!
    前日まで画策したけど、休めませんでした。帰ってきたのも8時前だし(泣)
    今からネットでニュース見ます。
    放送してなかったらテレビ局に電話もするつもりです。
    私も明日の東京新聞読みたーーーい!!!

    コメントありがとうございました^^

    ( 21:10 )

コメントの投稿

(コメントの編集・削除時に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)


トラックバック

Trackback URL
Trackbacks