「夜這い」という風習を初めて知ったのは、津山事件だった。
横溝正史の『八つ墓村』を読み、そのモデルとなったこの事件の概要を知って、ああ昭和になってからも日本には夜這いの風習は生きていたんだな〜と、当時小学生だった私は思ったのです。


夜這いと言えば赤松啓介、赤松啓介と言えば夜這い。
著者の赤松氏が、自らの体験を元に、かつてあった農村での大らかというか何と言うか、もう何でもありの性習俗について書いたものであります。


途中何回も同じエピソードが書かれていたりするのですが、94年に出した2冊の著書の合本ということと、これを書かれた時すでに赤松さんは80歳を超えておられたことを鑑みて、スルーして欲しい。
それより、事実に基づいた体験はあまりにもリアルで、まるで小説を読んでいるかのような内容は、この本自体、貴重な民俗学の資料である、ということに注目しよう。な!みんなっ!



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娘に初潮があると、親が赤飯を炊いて近所の若者に配る。
それが「おいで」の合図。
その日から娘は離れに寝泊まりするようになる。
若者たち(中にはおっさんもいただろう絶対)は、赤飯の出た家にいっせいに夜這いをかける。(西日本の古民家を見る機会があったら探してみよう。離れはきっとある)


避妊なぞしないから、当然子どもができる。
その結果生まれた子が誰の子であるかは、さほど問題ではない。
子どもの父親を指名する権利は、娘にあった。(←これはイイネ!
その男が実の父親である必要はない、というわけである。


生まれた子どもは、みんなの子ども。
村全体で育てた。
女房の産んだ子が自分の子でなかったとしても、自分の子として育てた。
「ヒザに子供を乗せたオヤジが、この子の顔、俺にチットも似とらんだろうと笑わせるものもいた。夜這いが自由なムラでは当たり前のことで、だからといって深刻に考えたりするバカはいない。」(p.33)


筆下ろしは、年上の娘や後家さんが担当、アジワイ(性的技巧)を若衆に教育した。
父兄や母姉たちが、自分の息子や娘の筆下ろしや水揚げを依頼したのだという。
それほど完全な性教育制度が整っていた。(本日2度目のイイネ!


しかし、一夫一妻制、純愛の現代では、考えられないほどの乱れっぷり。
たとえ配偶者がいても誰とでも寝るのが当たり前だった当時の村人がもし、ドラマ「昼顔」を観たら、上戸彩ちゃんが何を深刻な顔して悩んでいるのか、まるで理解できないだろう。



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あと、ところどころで柳田國男をdisってるのが面白い。


柳田は著者の育った村の近隣の出身で、夜這いがおおっぴらに行われているのを知っていたはずなのに、それに触れようとしなかった、と手厳しい。


柳田の研究調査方法について
「…夜這い一つとってみても、隣村同士でも多様なのに、あちこちの県のムラから広範囲に類似のネタを集めて一つのことを語ろうとする。僕に言わせれば、アホでもできるということになる。」(p.34)


かの柳田國男をアホ呼ばわり。 〆(´Д`ll)ハハッ


あと、明治23年に発表された教育勅語についても、ケチョンケチョンに言っておられる。


たぶん、教育勅語に書かれてある理想と、奉公に出た際に見聞きした現実が余りにもかけ離れていたため、教育勅語が「偽善の象徴」と写ったのだろう。
ただでさえ都市化して、ムラの形態が変化していく中、国が教育勅語で夜這いは禁止!とトドメを刺した。


「…夜這いは、宗教や信仰に頼りながら苛酷な農作業を続けねばならぬムラの構造的機能、そういうものがなければ共同体としてのムラが存立していけなくなるような機能だと、一応考えるが、…」(p.32 )
という赤松氏の目には、現代の閉鎖的な婚姻制度や貞操観念など、アホみたいに見えていたのだろうな。


さて。。。夜這いという単語を一生分書いたな、あたし。


では最後に、私も斎藤工さんとならナケナシの貞操観念をかなぐり捨て不本意ながら夜這い制度復活を認めてもいいと思っていることをここに書いて終わります。以上。







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